2017のホープ

明けましておめでとうございます

 昨年は色々と外に向けて考えることが多く、自分の内面に目を向けて、カウンセリング・ノートを書く時間が無くなりました。
 春から考えていたイタリア旅行、実際に目にした「ピエタの像」、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」、中世の騎士の武具の巨大さ、世界の国々から来た観光客の波、それらは私の内面に洪水のように溢れました。
 読んだ本にも興味をひかれ呑み込まれました。
 孔子伝を読み、自分にも似たところがあると思い、米原万里の本を読んでは自分はたましいの言葉の通訳者だと思いました。
 米原万里の本を読みだしたら次々に読まずにはいられないようになり、井上ひさしが評した「前のめりに驀進する」彼女の生き方に引き込まれてしまいました。
米原万里を通じて知ったロシアの人間的な豊かさは探求の価値がありますが、それを知るには原文で読むことが必要で、不可能なことです。
 教員を辞めてから読んだ中国の古典に現代中国を照らし合わせて眺めると、中国の生き方は基本的には何も変わっていないのです。文化は言語とともに何千年も変わらないのです。私たちが相手にしている個人や家庭の文化は変わり得るのでしょうか。
 ロジャースは人格変化を、ユングはコンプレックスの解消を考えました。そういうことは本当に可能なのかと疑問を持ちました。箱庭のイメージが変われば、人はどうなるのか十分な説明はできません。
 今の日本はアメリカの属国のようです。英語さえ出来れば世界に通じると考えています。しかし、それは英語が通じるところだけで可能なのです。多分それも経済ビジネスのレベルだけです。
昨年秋6年ぶりにソウルに行きましたが、街はハングル文字だけになり、漢字や英語の表記があるのは交通機関だけです。ハングルがわからなければ韓国で生活することはできません。同じことが中国にも東南アジアにもいえます。
 精神分析やユング心理学だけで人々の心の世界をわかろうとするのは、英語だけで世界に通じようとすることとどこか似ていると思います。けれども何か国語も身につけられないように、全ての人の心理に通じる心理学を見つけることはできません。
 省みると、私はフロイトに飲み込まれ、ユングに飲み込まれ、そして今は孔子や米原万里に呑み込まれていました。これを自分の主体性の危機と考える私は自分の心理学をしっかりと保持しなければなりません。
 そこで私は人間という動物が持つ意識下の動物的な感覚を働かせながら、いろいろな方々の生き方をかかわっていくことで、人々にやくに立って行きたいと思いました。
 これが念頭の所感、ホープです。
 今年もよろしくお願い致します。

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たましいの根づきと工場

たましいの根づきと工場
カウンセリング・だんけ 西村洲衞男

 最近気づいたことだが、夢に故郷の山の景色と愛知のひろびろとした景色がつながって出てくるようになった。私の夢の舞台はずっと生まれ故郷の熊本であった。
熊本には坪井川と白川という日本の川があり、その二本の川の南が広く開けている。熊本地震の震源はその南の端の方である。
 思い返してみると、夢分析を受けていた当時、夢の舞台は二本の川の北側であった。京都から名古屋に移る時、繰り返し川を渡る夢を見た。多分、私のたましいにとって白川の南が名古屋方面となっていたと思う。しかし、こちらに移って45年になるけれど愛知を舞台にした夢はほとんど見なかった。それが最近、白川の南から見た山の情景と愛知の広々とした情景がつながって現れるようになった。
 愛知の情景は、はじめに住んだ春日井や長年勤めた愛知教育大学や椙山女学園大学など丘陵地帯の側ではなく、車でしか通らない豊明の境川の辺りである。
 この前は、熊本の南側から見た金峰山と豊明の境川の土手の近くが出てきた。そこは建物といえば、遠くの方に工場の残骸が見え、近くでは農家のおばさんが数人よってお茶を飲んでいるのどかな情景だった。
 この夢を見て、自分の心理臨床の経験は遠くに見える沢山の工場の残骸のように散らばっているのだと思った。
今私は自分の心理臨床のやり方に安住して心地よくお茶を飲もうとしている。くつろいで気楽に過ごしている。このところこのカウンセリングノートのエッセイを書くこともだいぶサボっている。エッセイを書かないのは、この夢が示すとおりである。自分の面接技法は良いからと宣伝する自己顕示の意欲は出ない。反対に、自分のこのやり方は他人にはできないと思うから伝えたいと思う意欲もわかない。私の箱庭の解説は面白いらしい。それで箱庭の研究会も続いているし、ソウルからも招聘してもらえる。しかし、この私の箱庭の見方を他の人にわからせる方法がない。これは言わば職人技で伝授が難しい。
 ある人が博士号を取得して金沢に行った。そこで土地の人から流れ者と言われたという。金沢の人は土地に根づき、独特の文化の中に生きている。そういう人から見ると、例え京都生まれの京都育ちの人であっても、金沢に来れば流れ者に見られるのである。
 農家育ちの三男坊の私は熊本から流れ出ないと仕方がなかった。中学を卒業し集団就職ですし詰めの列車で出てきた人たちと同じである。流れ流れて80歳に近くなってやっと根づいたと思う。
 師匠河合隼雄先生はどうだったろうか。スイスから帰国して間もなく西大寺の裏手に家を建てられた。車も入らないような路地に面して門があり、入るとすぐに玄関があり、座敷があって、庭がある。庭の向こうは田んぼで、その向こうには関西の文化住宅があった。門から玄関までがあまりに近いので、文化庁長官がこんなところに住んでいるのかと誰だったか驚いた。でもその家の二階の書斎はたましいのフル稼働の工場だったに違いない。私はたましいの根づくところは見つけたが、まだ工場は立てていない。仕事はこれかららしい。

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箱庭の表現から見た発達障害

箱庭の表現から見た発達障害
カウンセリング・だんけ 西村洲衞男

 私は長い間発達障害というものが理解できなかった。自分を省みると発達の遅れているところはいくらでも見つかるから、自分も発達障害と言えると思っていた。
 しかし、最近になって中々良くならないクライアントの箱庭を見て、なるほどこういうものが発達障害と言うのだとわかった。それは一般に言われている発達障害とは違うかもしれない。私の発達障害は箱庭の表現に基いて考えたもので、こだわりが強いとか、注意散漫で落ち着かないという状態像から判断したものではない。
 成人で社会的な適応の難しい人の一群に、箱庭の表現に中心が無く、色々なものを散漫に並べたものがあった。そこには自分を表すようなものがなく、本人に聞いてもわからない。
箱庭の中に自分を考えたことはありませんでしたという人はいっぱいいるが、大抵は家や大きな木が中心になっていたりする。
 箱庭に置かれたものの構成がゆるく、色々なものが散在している。分割と統合と言うものがない。分割されていると、少なくとも私には理解できない関係が背景に秘められているのだろうと考える。中心のない箱庭を見て、分割のない散在したもの全体に出会ったと感じた。
 それは未だ男根期を経過していない肛門期の段階の箱庭と言えると思う。カルフ(Kalff.D)は箱庭表現の発達段階として、マンダラに始まり、動物植物の段階、戦いの段階、社会化を挙げた。この発想はノイマンが神話から見た自我の発達段階として考えたものを借用したものである。ノイマンは『子ども』という著書で、動物植物の段階と戦いの段階との間に男根的(英雄的)段階を設定していたが、何故かカルフはこの段階を取り上げていない。カルフは身体も大きく如何にも大きなお母さんという感じがして、本当にグレートマザーだったのか、男根的な主体的な子どもを認めず、いつまでも子どもを子どものままにしたお母さんだったのかもしれないと私は思う。
 男根期の段階は人格の成長の観点からは極めて重要で、主体性、エリクソンの言う主導性、イニシアティブが発達する時期である。このイニシアティブの段階で自分は自分であるという感覚が出てくる。自分があると他者を認知することができる。自分と他者の間に境界ができる。これが自我境界である。境界が出てきて分別が生じ、良いことと悪いことの区別も出てくる。ルールがわかるようになり、ゲームが出来るようになる。相手との関係は戦い、つまり感情を伴ったコミュニケーションを通じて人間関係の葛藤を経験する。戦えるようになって始めて社会化が生じてくるのである。
 発達障害は人間関係の葛藤を経験する前の主体性の段階を十分に通過していない人の特徴で、未だ肛門期の段階にとどまっている人のことである。
 肛門期は生活習慣を獲得し、人並みに何かができるようになったことを褒めてもらいたい時期である。言葉を憶え言語表現が豊かになり、身体的にも発達して運動能力も発達する。人間関係は未分化で一対一の関係ではない。みんなで遊んでいるように見えて、一人遊びの集合である。遊びの関心は自分の好きなことに集中してこだわり、人の意見を聞き入れにくい。空想と現実は未分化である。幼児期の思い出に、スーパーマンになって空を飛べると思い窓から飛んで、窓の外の小川に落ちて助かったと語った人もあった。この事例を考えると、ベランダから転落する子どもの事例は空想と現実の未分化が原因ではないか。
 男根期の入り口は性の分化である。発達障害はその性の分化もしっかりしていないことがあり、結婚してもセックスレスで過ごせる。自分の判断がないのでどうすべきか判断に困る。
 知的な能力があると色々なことができる。ITも技術を習得すればできる。ITの仕事は感情抜きでできる。証券マンとしても十分才能を発揮できるかもしれない。自分と顧客の間に感情が生じると危ない取引には躊躇するだろう。しかし、感情が薄ければ自分が儲かると思えば顧客が損をするかもしれないと思いながら成約を得て儲かる。自分の主体性がないから情況を周囲の様子を見ながら判断することになり、周囲の期待に沿って以外に業績を上げることができるかも知れない。自分で判断せず占いに頼ることもあるだろう。ときにはその判断もできず、自己主張もできずに引きこもることもあるだろう。
 色々なものがバラバラに統合性を欠いて散在する心の世界は、色々な才能や考えはあるが、それを自分のものとして使いまとめることができない。つまり人格の分化と統合ができていないことを反映していると私は考えることによって納得している。
 発達障害とは主体的な自我の欠如である。

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心の庭

心の庭
カウンセリング・だんけ 西村洲衞男

 学会の後、修善寺の湯回廊菊屋に泊まった。この宿は夏目漱石が胃病の治療のために泊まったので有名だ。漱石の泊まった部屋を見たかったけれど、人が入っているので見ることはかなわなかった。
 その代わりというか、通された部屋は昭和天皇がお泊りになった部屋だった。寝床は一段高くなり、そこには簾がかけてあって中々優雅だ。昭和天皇が休まれたところに寝るのは漱石の部屋で寝るより遥かに気分がいい。
 湯回廊というくらい長い廊下がめぐらされ、露天風呂がいくつもある。内湯は川に面しているが、外はあまり見えないので、陰気ですぐに出て、ほとんど露天風呂に浸かっていた。
 朝食に行ってびっくりしたのは、夜は見えなかった庭が荒れ果てていたことだった。もしこんな荒れ果てた庭を前にすると気分が良くない。元は庭師が手を入れた庭だったに違いない。竹垣の崩れ方から見ると10年位手入れをされていないのではないか。学会で疲れた心は庭で癒やされたかもしれないと思うと残念だった。この宿は自然がそこまで迫り、自然に圧倒されている湯である。
 夕食、朝食共に沢山の料理に圧倒されて参った。給仕の人も沢山ですと言っている。私は昭和の人だから出されたものは食べなければと思う。それが食事の礼儀。でも賄いの方では、食べきれなかったら残してくださいという考えだ。食べ残す文化は何となくしっくり来ない。
朝食の後散歩に出た。修善寺は古くから栄えた温泉街だから川沿いには石畳の道があってきれいに整備されていた。
 その入口に2軒のわさびソフトクリームの店があって、1軒はすぐに目につくほど賑やかに広告が貼りだしてあり、よく見るとそこのわさびソフトクリームは290円と書いてある。その隣に一段高くなって、わさびソフトクリームだけを大きく見せたお店があった。そこはソフトクリームが300円で、わさびを付けると350円で隣より60円も高い。それなのにこの高い方のお店が繁盛している。
 若い女の子が好むような賑やかな広告のお店は石畳の整えられた雰囲気と合わないし、沢山の広告のために店の中が見えず、ご主人も奥にいるのが覗き込んでやっとわかるくらいである。値段が高い方のお店は、若い人が店頭に立ち、太いわさびが数本氷の器に挿してある。如何にもわさびを売っているという感じで、こちらで買いたくなると思った。人柄と店柄、これが良くないといけない。
 散歩の帰り、宿の庭を貶した自分を省みて、我が家の庭を何とかしなければと反省した。
私もここらで心の庭も整えなければと思う。それには庭師が必要だ。庭の手入れは片手間ではできない、専門家的な庭師が自分の中に必要だと思った。整えられた心の庭、そこに人は休らうのではないか。

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私もおじいさんであるー学会発表で学んだこと

私もおじいさんである-学会発表で学んだこと
カウンセリング・だんけ 西村洲衞男

 今年も心理臨床学会で事例を発表した。
 毎年事例を発表する人は私ぐらいだ。私は今80歳に近いが、精神年齢30歳くらいのつもりでいる変わり者で、狂の人であろう。狂の人はもの凄い孤独を覚悟しなければならない。だから、この発表に沢山の人が来て下さったので、狂人の私も少しは安心した。
 発表した事例は、人々の尊敬を集めたある業界のドンをおじいさんにもつ女性の夢と箱庭
に見る結婚の内的な過程であった。指定討論をつとめてくださった山崖先生や司会の戸谷先生の適切なお言葉で私の発表も少しはまともなものになったと思う。質問も出てうれしかった。
 ある女性が、「クライエントのおじいさんのようなカウンセラー」という指摘があって、「霊柩車が通って行く」という最後の方の夢が私との関係も含んでいることがわかった。私は、彼女がたましいのレベルで尊敬していたおじいさんとの別れを考えていたのだが、霊柩車に乗っているのは私でもあったのではないかということだ。
 私はその頃故郷へ帰る夢を繰り返し見ていた。死に向かいつつある存在だった。それをクライアントのたましいは察知していたのかもしれない。
 それはまた彼女が私と別れる心の準備でもあったのだ。
 たましいの世界の交わり、そういうことを意識させられた学会だった。

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